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教会名:真実の谷

教会名

Faith Valley 
~神の真実を味わう空間~

教会名を、私達はアイデンティティーだと考えています。

アイデンティティーとは、「自分とは誰か」という問いに対する答えです。「フェイス・バリー」という教会名に、フェイス・バリーの役割、価値観などを込めています。

この教会は以下にあるように、真の神との出会いを目指したいと願っています。神の真実に触れて、私達が霊的に成長する場所が、フェイス・バリーです。

​1.Faith:信仰、真実

真実、信仰の聖書的意味

1.私達の信仰

「Faith」という言葉は、信仰を意味します。そこから、フェイス・バリーは、私達の信仰が試される場所、鍛えられる場所でもあります。

2.イエス・キリストの信仰

イエス・キリストが2000年前に来られた時、この地上で父なる神を信頼して歩んでいました。また、三位一体の交わりの中で日々を過ごされていました。

このイエスの信仰を私達は模範とすることができます。

私たちの教会は、イエスを見上げて、互いに成長する教会を目指しています。

3.神の真実、神の誠実

「Faith」はギリシア語「ピスティス」の訳で、「ピスティス」には、信仰だけではなく、真実、忠実さ、誠実さという意味があります。

 

「神の義は、イエス・キリストの真実(ピスティス)によって、信じる者すべてに現わされたのです。そこには何の差別もありません。」ローマ人への手紙3:22
 

「神の義が、福音の内に、真実(ピスティス)により信仰へと啓示されているからです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。」ローマ人への手紙1:17 
 

神学的な意味で、この「Faith」という言葉の意味に「真実としてのFaith」を付け加えています。
私たちは、自分自身の信仰ということを全面に出そうとするかもしれませんが、その土台には、神の義と神の真実があります。
2000年前にイエスと共に神の国が到来して、神の義が果たされたことは、この神の真実の現れの1つです。

今も義をなされる神の忠実さ、誠実さを味わう教会、それがFaith Valleyという教会です。

​2.Valley:谷

1.不安定、低さ、弱さを象徴

東京は、谷が多い街ですが、上を見て歩くと、たくさんの高い建物に囲まれて谷のようです。さらに東京という環境が、非常に心の弱さや不安定さを引き出す力をもっているようです。人々は心の平安を見いだすのが難しく、私達には、神の愛や癒しに触れる必要と難しさがあります。

2.試練と苦しみの場

また、聖書で谷は、苦しむ場所として書かれています。
 

「たとえ 死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたが ともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです。」詩篇 23:4
 

「彼らは涙の谷を過ぎるときもそこを泉の湧く所とします。初めの雨も そこを大いなる祝福でおおいます。」詩篇 84:6
 

「それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという場所に来て、彼らに「わたしがあそこに行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。」マタイの福音書 26:36

ゲツセマネの園は地理的にはオリーブ山とエルサレムの丘の間に位置しています。

イエス・キリストがここで、苦しみと従順の祈りを神に捧げました。

3.神と出会う神聖な空間

何よりも「Valley」という単語は、神と出会う神聖な場所として聖書に描かれています。
そもそも、聖書で神と人間が出会う最も有名な場所は神殿です。でも、神殿は儀式を通して神と出会うのに対して、谷は、私達の心のうめきや、試練の中で心が乱れている時に、心の奥底で神に出会います。

 

また、聖書で谷は、弱さや試練の場所として描かれていますが、それは勝利や救いのプロセスでもあります。

ヘンリー・ナーウェンは「神の愛を受け取るには、自らの弱さを受け入れることが大切だ」と繰り返し語っていました。人間というのは、誰もが不完全さを持っていて、私達は傷つくこと、苦しむことで、神の愛を自覚します。ヘンリー・ナーウェンにとって、弱さは敗北ではなく、神の愛が注がれる入り口と考えていました。

 

パウロも2コリント12:9で、そのことを語っています。
「しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」
 
私達は、この谷というネガティブな意味の言葉をあえて入れたくて、教会名にValleyを入れました。それは、
神との出会いは儀式だけではなく、試練の中にある私達の心の深いところ、心の中にある谷ようのような場所で、神と出会い、神の愛を知るからです。

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