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Vision

この世で神の真実を味わうコミュニティ

フェイス・バリーに神が示された存在目的、未来への方向性をまとめました。

「この世で、神の真実を味わうコミュニティ」というビジョンフェイス・バリーのビジョンです。

1.試練を通して信仰を練る!

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「Faith Valley Church Tokyo」という教会名から示された最初のビジョンは、まず、私達がこの世の試練という「バリー(谷)」を通る中で、「Faith(信仰)」が練られていくという点です。

​試練は大小問わず、至る所にあります。多くの人にとって生きること、それ自体が試練だったりします。

聖書では、たくさんの箇所にこのことが書かれています。

 

「神よ まことに あなたは私たちを試し銀を精錬するように 私たちを錬られました。」詩篇66:10

 

「それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。」ローマ5:3-6
 

​できることなら、試練は味わいたくありません。しかし、神が私達に与える試練は、私達が乗り越えられる試練であり、必ず備えの道を用意してくださっています。神と共に生きて、神の真実を味わうことで、乗り越えることができます!

2.弱さを通して神の愛を得る!

教会ビジョン

2つ目に、この世の弱さや不完全さとしての「バリー(谷)」を経験しながら、「Faith(神の真実)」に触れて、愛を得た状態に至る点です。

 

聖書には、神の国の民の特徴が書かれています。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」マタイ5:3

聖書で「心」と訳される言葉は、霊を指すことがあります。神が命の息(霊)を吹き込まれたことで人は生きる者となりました(創世記2:7)。つまり、霊とは私たちの内なる活力の源です。「心が貧しい者」とは、この生きるエネルギーや活力が足りない状態、落ち込んだ状態を言います。決して、「お金が無い」とか「社会的な弱者」だけを指しているわけではありません。お金があってもなくても、自分には神の前に誇ることが何もないことを自覚して、神に助けを求める人のことを言います。

「幸い」とは、「祝福」、「恵み」という意味です。聖書でいう幸いは、神から受ける祝福のことを言います。祝福とは、状況の良し悪しではなく、神との関係の中で与えられる恵みです。
現代人にとっての祝福や恵みは、大学や就職、その後のキャリアかもしれません。でも、真の祝福は、キャリアではないのです。社会的弱者やキャリアがない人も含めて誰もが、そのままで祝福を受けることができます。そして、神の国という場所に上げられた状態となります。

2000年前、一般的には、出身地や職業、子どもなどが祝福でした。そのような意味で、イエスは、ナザレという、当時地図にも載っていないような地に生まれ、大工という庶民的な職業を持ち、子どももいませんでした。そのため、見下されたこともあります。
イエスの弟子たちも、ナザレ派という形で見下されました。

しかし、そこに神の祝福があり、最終的に「ナザレのイエス」という名は、弟子たちにとって誇りとなり、世界に知られる栄光の名となりました。この不完全なものが祝福されるという逆説的な事実、それがイエスの意図していることであり、福音の神髄でもあります。

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