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基本理念

大切にしている価値観

フェイス・バリーが根本的に大切にしている価値観、考え方は、聖書を中心としています。聖書には良い知らせ(福音)が語られていて、神が神の民という共同体に契約を結び、そこに忠実に神が歩まれたストーリーです。また、すべてのクリスチャンが神の民であり、家族です。神は世界中の全ての人を招いておられます。

1.福音中心

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福音とは、「神の国の訪れ」を告げる知らせです。
神の国は、イエスの到来によって始まりが宣言されていますが(マルコ1:15)、福音の物語は、アブラハムへの約束においてすでに始まっていました(創世記12章~17章、ガラテヤ3:8)。アブラハムに神の国のビジョンが語られ、信仰によって義とされる原型(創世記15:6)、イスラエルを通して全世界が祝福される約束がアブラハムに語られています。神は、この約束に忠実な方です。イエスによって神の国がもたらされたのは、「神の約束は真実であり、神がその約束に忠実であった」と言えます。

また、イスラエルの歴史の中で、イエス・キリストがやってきたことで、この約束が果たされました。そのような意味では、旧約聖書にあるイスラエルの物語も福音の土台であり、クリスチャンのアイデンティティにおいてとても重要だと考えています。信仰によってアブラハムの子孫となった神の民、教会が今、神の救いの計画において、旧約のイスラエルの物語、契約に接ぎ木されています。(ローマ、11:17-24、ガラテヤ3:7,29)。もし、旧約のイスラエルの物語を取り外して福音を捉えてしまうと、旧約で神が約束したり、旧約の民への愛などはまったく私達と関係のないものとなります。イスラエルが生きた神への信頼、契約に基づく共同体の歩みは、今の教会にも受け継がれています。例えば、歴史の中でイスラエルは、出エジプトやバビロン捕囚からの帰還という救いを経験しました。これは、神がご自身の民を見捨てず、最終的な救いへと導かれる方としての証とも言えます。

 

さらに、福音の特徴の1つには逆説的という特徴が見られます。
福音は、イスラエルに神の国がイエスと共にやってきましたが、目に見える形で理解されませんでした。もともと、イスラエルは、左右をエジプトとメソポタミアという大国に挟まれた小国です。また、イエスの時代、イスラエルはローマの属国でした。当時の人々の目には、神の国と思えない場所 - 小国イスラエル、ローマの属国 - に神の国であるイエスの支配が静かに始まっていたのです。
イエス・キリスト自身もそのようでした。十字架で亡くなり、見た目には何ももたらしていないように見えますが、サタンに決定的な勝利を治めて世界の王となり、赦しを普遍的・永続的に確立しています。

現代においても見た目には、神の国とは見えないところに、神の国が現れます。不完全さのただ中に、神の誠実さを味わうことができるからです。

このフェイス・バリーの動きもそのような小さな動きで、外から見れば、「何かそこに魅力があるのか?」そう思えるような始まりでした。けれども、神の祝福の中で静かに育まれています。
私達は福音を何よりも大切にしながら、歩みを進めていきたいと思います!

2.共同体としての価値観

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聖書は個人的な救いを語っているだけではなく、さらに広い枠である共同体としての祝福や救いを語っています。むしろ、個人よりも神の民という共同体に比重が置かれています

旧約聖書では、神はイスラエルという共同体と契約を結びました。

新約聖書でも基本的な形は同じです。黙示録で完成した神の国では、私達が神の民であることが強調されています(黙示録21:3)。また、イエス様が弟子たちに教えた主の祈りでは「私」ではなく、「私たち」と祈ることを教えています(マタイ6:9-13)。

プロテスタント教会は、コロナ禍で個人の救いを強調してきた課題が浮き彫りになりました。個人と神との関係だけを土台にするなら、教会に集う意味が見えにくくなります。実際、多くの人達が教会に集うのをやめたり、別の教会に移りました。
確かに、個人と神との関係は大切ですが、
神は共同体を通して祝福を広げ、信仰を育まれる方です。私たちは神の民という家族です。
フェイス・バリーは、この共同体としての価値観を何よりも大切にしています。

 

また、東京という都市もまた、神が愛される共同体です。神はローマにも霊的な救いをもたらしたように、東京にも福音を広げて神の国を拡大したい想いを持っています。この視点に、私達は価値を置いています。
 

​2.Valley

3.外向きの宣教姿勢

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現代の日本の教会が、隣人を教会内やクリスチャンに限定しがちな傾向がある中で、私たちはそれを超える価値観を大切にしています。イエス様は隣人を限定しないように教えられました(ルカ10:25-37)。

多くの人々がフェイス・バリーに集うことを、神は祝福しています。また、多くの方がこの教会から出ていくことも神は祝福されます。


教会という境界を越えて、神の家族としての広がりを大切にしています。
この家族は、まだ神の家族とされていない人々にも開かれています。
2000年前、イエスが神の国から反逆した私達の地上世界に来られたように、私達も外に開かれた共同体を目指しています。

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