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クリスチャンの信仰って成長するの?

クリスチャンの信仰というのは、どのように成長するのでしょうか?


ある人は信仰の成長を筋トレのように考え、またある人は節制や忍耐の力にたとえるかもしれません。


また、知識を身につけることと、成長することは必ずしもイコールではありません。善い行いをすることと信仰の成長とも異なります。もちろん、これらがつながっていることもありますが、本質的にはクリスチャンの信仰が育つことは、それとは少し異なるイメージで捉える必要があります。


信仰生活は神様との関係でもあります。神から愛や救いを受けとり、関係を深めることで、それまで以上に神に頼るようになります。


そのためには、霊的な訓練が必要でもあります。

例えば、聖書を読む時に、神様からの語り掛けを受け取るような読み方も必要です。

宗教改革者のマルティン・ルターは「神の言葉は、神そのものである」と主張しました。ヨハネの福音書1:1には「言葉は神であった」とあり、1:14には「言葉が人となった」と記されています。

神は言葉であり、聖書の御言葉を通して、今も活動されています。もし、聖書を読み、そこに人格的な神を見出さないのであれば、その時、私たちは、神と出会ったとは言えないということを彼は言っています。御言葉を読む時に神の生の声を聴くような読み方を目指すことも信仰の成長に有益だと考えています。


また、祈りを通してもそうです。祈りの中で人格的な神の存在を意識して語り掛けて、そして、神の存在を感じるように祈ることも大切だと考えます。


これらの御言葉の読み方や祈り方は本来、1人だけで向上するより、信仰は共同体の中で育まれます。

是非、教会のミニストリーにも参加してみてください。


クリスチャンの信仰の成長は、「三歩進んで二歩下がる」ような歩みであり、また「螺旋階段を上る」ようなたとえで表されます。時には後退しているように感じることもありますが、焦らずに少しずつ神に近づいていくことを求めていきましょう。

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