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聖書の御言葉とその解説をここで語ります。


コロサイ人への手紙 1章15節a:神のかたちとは?
神野かたち(像)とは、コロサイ人への手紙1:15の他に、創世記1:26-27でも表現されています。私達は神のかたちに造られた者の、罪を犯したことで、神のかたちがゆがめられた状態にあります。その中で、真の神のかたちであるイエス・キリストがやってきました。イエスの生き方を目指すことこそが神のかたちを目指す生き方と言えます。

倉智 崇司
21 時間前読了時間: 1分


コロサイ人への手紙 3章8節:怒りへの管理方法
コロサイ人への手紙 3章8節でパウロは、怒りや憤りなどの悪い感情を捨てるように語っていますが、私たちが日常で抱く怒りは、しばしば自己中心や誤った価値観に根ざしています。
それを神の愛で照らすことが求められます。

倉智 崇司
1月26日読了時間: 2分


マタイの福音書7章1節:相手を見下す以上に愛する!
「さばく」というのは、1つは、「分析する」とか「価値判断を下す」という肯定的意味がある反面、もう1つ、「批判する」とか「見下げる」といった否定的意味もあり、イエス・キリストは、後者をしないようにと語っています。

倉智 崇司
1月21日読了時間: 1分


ローマ人への手紙5章8節:「関係」と「人の命」同時に救われる神
聖書は、「関係」と「人の命」のどちらも大切だと語ってますが、私達の生きる現代社会では、この2つはしばしば緊張関係にあります。そんな中、この2つを同時に与えた出来事がイエス・キリストの十字架でもあります。

倉智 崇司
1月12日読了時間: 1分


マタイ18章21-22節:イエス・キリストが弟子のペテロに教えた惜しみなく愛し続ける生き方
「そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」(マタイ18章21-22節) 職場や学校、家庭など、日々の生活の中で「人を愛することの難しさ」に直面することはありませんか? 赦すことを含め、相手を認める愛の働きかけは、心の栄養素とも言われます。 私達は、そこまで相手のことを認めたり、褒めなくても良いのでは?と無意識に判断するかもしれません。 しかし、 1年前に受けた賞賛や感謝は、もう心の中で消化されていて、私たちの心は常に新しい栄養を必要 としています。 この “心の栄養不足”が、関係のすれ違いや衝突につながる ことも少なくありません。 皆さんは、心の栄養素でもある愛の働きかけをどこから受けているでしょうか? 御言葉を通して主が私達に語っている働きかけに、心を向けてみてはいかがでしょうか? 今年は、体の健康だけでなく、心の健康にも優しく気を配る1年にしていきましょう。...

倉智 崇司
1月5日読了時間: 1分


エレミヤ書 31章34節:神の忠実さ!
今を生きる私達が、旧約聖書を通して神を見た時、神が約束に対して、いかに忠実であるかを理解することができます。そして、私達の信仰生活において、神が嘘をつかない真実な方であると、再確認させます。

倉智 崇司
2025年12月30日読了時間: 1分


マタイの福音書6:22-23a:神に心を向けたインプット
「アウトプットは、インプットから!」と言いますが、イエス・キリストは、神の恵みや救い、神と隣人を愛する神の国に目を向けたインプットを教えています。

倉智 崇司
2025年12月22日読了時間: 1分


ピリピ人への手紙1章1節:神のしもべは自由
新しい1週間の始まりに、聖書の御言葉をお届けします!本日は、ピリピ人への手紙1章1節。
キリスト教は、しもべ・奴隷を誇りとする生き方を目指しますが、それは一体どういうことなのでしょうか?
真の自由なるしもべについて語っています。

倉智 崇司
2025年12月16日読了時間: 1分


Ⅰペテロの手紙 5章7節:五木寛之のあきらめるを聖書的に見る
新しい1週間の始まりに、聖書の御言葉をお届けします!本日は、Ⅰペテロの手紙5章7節。
思い煩いをゆだねるには実は諦めることが解決の糸口とも言えます。
聖書でも私達は目の前の罪を明らかにして、神に委ねます。

倉智 崇司
2025年12月8日読了時間: 1分

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